文化財
小菅村の文化財について
文書や郷土史などから年代が判明している史跡や建造物で古いものとしては、長作古観音堂が大同2年(807年)、湧金山宝生寺が康元元年(1256年)、箭弓神社・山沢神社・八幡神社が文明10年(1478年)の建立と記述されています。また、現存する重要文化財の長作観音堂はその建築様式から鎌倉時代のものと推定されています。
室町時代には武田家の家臣、小菅遠江守信景が支配していました。小菅遠江守の居城は箭弓神社後方の天神山にあり、その支配地は丹波から落合、柳沢、萩原山、土室沢、さらには小金沢を経て天目山付近まで及んだといわれています。小菅村は武州に接し関東方面に対する要衝の地で、小菅遠江守はこの地の護りにあたっていました。ちなみに小菅遠江守信景が仕えたのは武田信昌で、信玄の3代前の時代です。
江戸時代には幕府の直轄地で、将軍が鷹狩りに使う鷹を供給するための御巣鷹山が村内にもあり、その管理などの様子を記した古文書が残されています。また、この時代に盛んとなった富士講の供養塔や浄進場といった地名などが、当時の古道沿いに見られます。